第75回
(話題) 東京市社会局と都市社会調査
(要旨)
東京市社会局は、大正7年の米騒動が直接のきっかけとなって、養育院はじめ公設市場・軽便食堂・職業紹介など、すべての社会事業関連(衛生課所轄の事業を除く)の政策を管掌する部局として、大正8(1919)年12月に設置された。事業予算は独立特別会計として編成され、そのための追加予算としては特別消費税(遊興税)が実施された。
以降、昭和14(1939)年東京市厚生局に改組されるまでの20年間に、都市社会問題に関するさまざまな調査を行っている。これらの調査は資料的にも社会調査の歴史の点でも重要なものであるが、個別的な資料の利用はともかく、調査そのものの全体像はあまり注目されていなかった。その理由の第一は、基礎資料の集成が未だなされていないことにある。
そこで、本研究は、まず社会局が行った調査実践のすべてをリストアップし、かつ内容情報を利用しやすい形で集大成することから着手した。方法として、1.「調査報告書」、2.「東京市社会局年報」、3.「季報」「時報」を中心にし、かつ調査局・角田順の「本局調査掛施行調査総目次(昭和12年作成)」を参考にして、遺漏を補い重複を避けることを心掛け集成した。洗い出された全調査は、調査開始順に並べ、典拠を明示し、最小限の内容を抄記して、通し番号を付し整理したが、その数は343にのぼる。更に「報告書」について、調査主題による50音索引と参照した典拠の所蔵先をつけ目録化し、また「東京市・東京府社会事業担当部課の変遷」一覧表も採録した。こうして上梓した「東京市社会局調査の研究ー資料的基礎研究ー」(一般財団法人住総研の研究助成 No.9018)は社会局20年間の調査の殆どを網羅し得たと思う。
調査報告書には地図・図表・統計グラフをはじめさまざまな図版や写真が採用されている。下層社会の実態を写し出した写真や保護世帯分布図(新市域不良住宅地区調査など)、状況概説のほかにスケッチによって全体風景・位置図・付近図・家屋平面図から布団や火鉢の生活道具を示した調査世帯住宅図(被救護者に関する調査)など、新しい技法を用いての調査の可視化が見られる。風俗採集や所有品調査などのスケッチは考現学の影響であろうか。
中には調査風景そのものを写し“各調査班は菓子煙草などを用意し、浮浪者を審訊するに際しまずこれを見舞品として給与する……調査上非常の便宜となった”(浮浪者及び残食物に関する調査)と特記しているのもある。また、救護事件実例集である「方面 愛の雫」のように表紙をモダンな女性の3色カラー印刷で飾られた報告書もあり、文献(外国文献の翻訳)調査などもあるが、新手法やモダニズムの感覚が、社会局調査の1つの側面を物語っているようである。多くの調査に「大学は出たけれど」の高学歴失業者も動員された(少額給料生活者失業応急事業)ことは時の世相を反映して興味深い。
社会局の調査は、1.居住、職業、生計の3つを軸として行われたこと。2.問題を絞りきれなかった節もあるが、複合的調査が行われたこと。3.調査のサンプル数が大きいこと。4.乞食とか野宿とかに関心が高いこと。5.日雇労働者の日記による調査など考現学の影響が見られるなどの特徴が認められるが、昭和期に入ると、法制化されるにつれて調査はルーチン化され当初の問題意識が薄れていったことがうかがわれる。今回のリスト集成に続き第2段階の内容分析、第3段階の組織・制度の特質と歴史的位置付けの追求していく構想をもっていたがそこまで至っていない。今後の課題としては更に新資料の探索を続け、東京市の他の部局が行った調査や東京府との協力の実態を解明して不足を補い、加えて地方中核都市における社会調査、国レベルの動きとの対応などの研究をして、より充実した基礎的な資料の集成がなされることであろう。
(討論)
社会調査の系譜について、可視化と欧米の影響、細民の散在化と細民の政策的概念への変化、繁盛記と都市社会調査、調査結果と施策への反映、調査内容と予算と調査員、標本調査と悉皆調査、アンケートなどの調査方法の導入、意識的に公表されなかった調査、調査指示者と社会局調査の変遷、など。