第65回
(話題) 音の風景と近代の忘れもの−大分県竹田市瀧廉太郎庭園整備計画をめぐって−
(要旨)
一般に近代における音の文化とは、「音楽」つまり楽器の音程をもった人工音によってデザインされたものと意識されている。音環境を構成する要素は色々あるが、作品中心主義の「音の芸術」にとって、自然の鳥の声や風の音などは、芸術の枠外の「非音楽」であり忘れられた聴覚世界であった。しかしサウンドスケープ(音の風景)の考え方による音環境(計画論における音響世界)は、1.発音を目的とした装置からの音、2.人間の活動の音や自然界の音、3.記憶の音・伝承の音(その場では物理的に存在しない音)にまで拡大する。そこでは、従来の計測器により物理的・数量的に取り扱われてきた「機械論的環境観」に基づく音環境ではなく、特定の時代や地域の人がどのような音を聞き取りそれらをいかに意味付けているのか、つまり、基本的に「意味論的環境観」に根差したものとなる。
大分県竹田市は800年の歴史と豊かな自然に育まれて「九州の小京都」と呼ばれ、芸事の盛んな「遊芸のまち」の伝統を引き継いでいる城下町である。市の行政は進む過疎化対策として観光振興をすすめ、我が国の洋楽揺籃期における最初の本格的な作曲家ー瀧廉太郎の旧宅を復元して「瀧廉太郎記念館」開設を企画した。廉太郎(1879-1903)は12歳から15歳までの多感な少年時代をこの竹田で過ごし、この地で音楽の道に進むことを決心している。
この記念館庭園整備の音環境計画にサウンドスケープの考え方を導入し、まず旧宅及び周辺の環境特性を観察調査し、住民に音のヒヤリングを行い、まちの歴史や廉太郎に関する文献調査を行った結果、旧宅や町で耳にした音の風景が廉太郎の感受性を豊かに育て、後に数々の名曲を生み出す源の一つであったことが把握された。そこから基本コンセプトを「廉太郎が聞いた音を追体験する場」とし、全体の庭園計画や施工の実作業と緊密な関連を持ちながら、情景を再現する手法を検討した。竹の響、鳥や動物の鳴き声、溝川の響、井戸の響、飛石と下駄の響など抽出した主要な音に対応して、孟宗竹や実のなる木を植え、伝承の妖怪「溝川のおさん」のたてる音の工夫に溝川を拡幅し段差をつけるなど、在来の造園技術にのっとって展開された。なお、小冊子「廉太郎と竹田の音風景・廉太郎マップ」をつくって記憶やイメージの音の補足充実と記念館のフォローをはかり、さらには記念館をまち全体へつなげていく展開方法を試みている。
最近の「景観」には、祭りや伝統工芸などその地域の歴史や文化を伝える「語り部」としての機能をもつものを「景観資源」として評価する新しい動きがある。このプロジェクトも「音」を切り口とした「新たな景観計画」と位置付けられよう。加えて、音の記憶からの建築空間の解読として、また音環境デザインの枠組みと手法の拡大として、さらに日本の近代化の再考の場として位置付けてみたい。
スライドやテープを駆使した論説の後、クリエイティブデザインと文化・歴史調査の必要性、ほんとうの静けさとは、「虫聴き」と日本文化、予算獲得運動と文化行政、サウンドスケープの学問としての体系化、など活発な討論が交わされた。