第63回
(話題)  博覧都市江戸東京
(要旨)
博覧会を技術史的・経済史的・あるいは建築美術史的ではなく、社会的経験の系譜として捉え返すことで都市文化としての博覧会がみえてくる。明治前期の博覧会は殖産興業のための催しであり見世物は排除されるべきものとされていたが、大正以降、娯楽化と並行して婦人や子供・都市中間層の家庭生活に照準を合わせた博覧会が数多く催され、生産よりも消費の場たる家庭のモデル醸成の役割をもつものになっていく。この動きを最も積極的に推進したのはかつての官庁に代わって百貨店や電鉄・新聞社などの民間事業主体であり、それら企業は新たに台頭しつつあった都市中間層を消費者として組織し消費生活を先導することによって、その産業的裾野の拡大して行くことのできる存在であった。百貨店は博覧会に出品するほか自店内で博覧会を催し常設化した博覧会空間として急速に発達し、電鉄も博覧会を顧客獲得の戦略として活用し、また新聞社は博覧会を部数と読者層の拡大に絶好の宣伝の舞台として活用した。やがて1930年代半ば以降、これら博覧会はいずれも軍事プロパカンダの場にとって代わっていく。一方こうした過程と並行して企画・展示を請け負う「ランカイ屋」が形成され更に近代的なディスプレー産業へと転身を遂げていく。そしてこれらに国や地方官庁を加えたシステムが戦後も1960年代に至るまで無数に開かれて行く博覧会の基本的なパターンとなるのである。
これらの変化をイデオロギー装置・商品のデスプレイ装置・見世物といった観点から追った吉見氏の論は、演出側より更に受容側に焦点をあてたものであり、活発な議論の引き金となった。(討論)
欧米と日本の博覧会の違い、モデル住宅の展示は日本が先か、将来の博覧会像とそれへの危惧、イベントと文化の乖離、博覧会自体の政治性、マスメディアの発達と博覧会の意義の変化など活発にかわされた。