第159回
(話題) 日本近代の集合住宅の原点としての「下宿屋」
(要旨)
フォーラムに先立ち、昔日の本郷下宿屋街を高橋幹夫の案内で見学した。そのコースは、『文京区(本郷)旅館御案内図』→『本郷旅館案内図』→『桜木神社』→現役賄付き下宿屋→元下宿屋・現旅館『鳳明館 本館』→旅館『鳳明館 台町別館』→下宿屋跡→いり豆屋→元下宿屋ビル→楠の巨木→元下宿屋・現旅館『朝陽館 本家』である。
フォーラムは、まず高橋幹夫から下宿屋の歴史概論について、次の発表があった。下宿屋は賄い等様々なサービスが供された集住形態であり、少なくとも昭和初期以降、第2次世界大戦前まで需給の増加傾向にあった。明治・大正期には自由だが堕落に陥りやすく営利的で冷酷とする世評があった。その業態は旅館と未分化で、取り締まりの規則は明治初期から存在していた。
続いて、松山薫からは本郷の下宿屋経営者について言及があった。明治28年、大垣出身者による創業に始まり、特に岐阜西美濃地域からの連鎖移住−明治中期から大正初期に下宿経営に成功した先駆者に続く、親類等同郷人の下宿業開業−は、本郷の下宿・旅館街形成に大きな役割を果たした。
更に、堀江亨からは建物の実測から、木造、共用の風呂、中庭を囲む平面、各室の床の間等の特徴が述べられた。また、経営者等の聴き取り・資料収集等により、建築・経営・生活の時代的変遷等が紹介された。
下宿屋はいわゆる近代化、欧米化とは直接の関連がないゆえ、これまで日本の近代史、近代建築史のうえでは視線を向けられることがあまりなかった。しかし、下宿人の生活や人間関係、起源、軒数などから、日本の近代、とりわけ近代都市東京を特徴付ける、日本独自の都市的な集合住宅といえるだろうと論述された。