第158回
(話題)  江戸のモノづくり−文化と技術のクロスオーバー−
(企画趣旨)
江戸時代は、それまでの時代に比べて、より高度で緻密なテクノロジー社会へと変貌した。それは、士農工商という職種による厳格な身分制社会と鎖国という独特な社会体制の所産といえよう。とくに「工」にあたる職人たちの技は、江戸をはじめとした各地の城下町で発達し、全国レベルで高い水準にあった。そのことが明治維新の時に全国レベルで近代化技術に即応できた要因ともなった。つまり、江戸から明治への大きな転換期に、東京だけが近代化に成功したのではなく、日本各地が高水準の近代技術へ転換できたのであった。そして、江戸時代のモノづくりにかける精緻な技術と意匠のすばらしさは、日本の近代社会の工業化へつながるものであった。
江戸から東京への科学技術の継承と変化を如実に物語る旧赤木コレクションは、現在、江戸東京博物館赤木コレクションと国立科学博物館に預託されたトヨタコレクションに、それぞれ半分ずつ所蔵されている。この旧赤木コレクションを中心に、文部科学省科学研究費特定領域研究「江戸のモノづくり」の調査研究が推進されてきた。今回、この中間報告として「文化と技術のクロスオーバー」の視点でシンポジウムを開催することになった。本企画は、「測る」をキーワードとして、海外からも基調報告者を招くとともに、7名の最先端の研究者を招聘してパネルディスカッションを行い、近代へのモノづくりの実態を明らかにしたい。
今回のシンポジウムは、一般財団法人住総研、特定領域研究「江戸のモノづくり」総括班、東京都江戸東京博物館、国立科学博物館が機関を越えて協力して開催する。

(基調講演)「韓国の伝統科学とモノづくりの技」
全相運(韓国科学技術翰林院創立会員・元老会員)
(講演要旨)
「世宗実録」によれば、1442年、朝鮮王朝政府は、測雨器と水標を造り、降雨量の測定制度を確立した。自然現象の機器による測定が始まったのである。風速と風向きを風旗で測定した。景福宮には簡儀台を築造し、大簡儀と大圭表などの儀器による天文観測、日星定時儀、自撃漏などによる国家標準時刻の測定が行われた。全国土の測量をもとにした地図が制作され、地理誌が編さんされた。B.C.7世紀頃の多紐綴文鏡の鋳造、高句麗古墳の天の図と生活科学の絵、百済の窯業技術、新羅の鍮器と青銅梵鐘鋳造技術、高麗の象嵌青磁の発明と八萬大蔵経の制作、青銅活字印刷技術の発明などに韓国のモノづくりの技が見られる。
基調講演では、韓国の伝統科学を築き上げた科学者と工匠たちの測ってつくる先端技法が紹介された。

セッション(A):「文化」のなかの「はかる」
「江戸町火消の纏−身体・用と美・意気の結晶−」
川田 順造(神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科教授)
(発表要旨)
「江戸の華」と呼ばれている火消が持っている纏は精神性のあるものである。纏は消火法の違いによって、大坂と江戸に違いはあるが、屋根の上で振るという作業から、身体を基準にして作られている。纏という例を取り上げ、身体と密着した道具のあり方、文化と技術の関わり方が述べられた。

セッション(A):「文化」のなかの「はかる」
「江戸期『計量』の日欧相互交流」
高田誠二(久米美術館参事・研究員)
(発表要旨)
日本は非常に複雑な形で計量に関する知識を西欧から導入した。西欧に振り回されていたと言えるかもしれない。明治初期の尺貫法の基準は、古来の伝統を上手に折衷したうえで、西欧では普及し始めていたメートル系の単位に準拠してつくられた。度量衡そのものの東西比較と、文化と技術が西欧と日本をクロスオーバーする相互交流的な問題について提示された。

セッション(A):「文化」のなかの「はかる」
「都市を測る−江戸の都市設計−」
波多野純(日本工業大学工学部建築学科教授)
(発表要旨)
「都市を測る−江戸の都市設計−」波多野純(日本工業大学工学部建築学科教授)
江戸の都市設計は碁盤目状の町割が地形に合わせて振られ、京間、京都系の建築技術に基づく基準尺が用いられた。また、設計方法として内法制が採用された。江戸の町家に関しては、庇部分の土地がご公儀とされたり、庶民が私有地だと主張したりしている。
屏風などを見ると、絵師は描きたい部分を強調し、不必要、あるいは繰り返しである塀などの部分はきれいに短くしている。だから、絵を単純にはかることはできないが、絵がこうなるという絵師の考え方のプロセスが見つかる。これも「はかる」ということだろうと都市設計の立場から発表された。

セッション(B):「技術」のなかの「はかる」
「江戸時代の天文・測量と“はかる”」
中村士(国立天文台・新天体情報室室長/助教授)
(発表要旨)
「はかる」ことが最も重要な役割をする分野のひとつは、天文学と測量学である。高野至時、間重富ら麻田派の天文学者の活動と、伊能忠敬、久米通賢らによる精密測量と地図作り等を通して、“はかる”技術が江戸時代にいかに発展したかが述べられた。

セッション(B):「技術」のなかの「はかる」
「時を測る:和時計の進化と江戸の時刻制度」
橋本毅彦(東京大学先端科学技術研究センター教授)
(発表要旨)
明治6年に改暦される以前は、昼夜の長さに合わせて季節ごとに変化しているときを告げる「不定時法」という時刻制度を採用していた。そのため、西洋から渡来した機械時計を不定時法に合うように独特の和時計を生み出した。この独創性は、日本人が誇れる技術である。

セッション(B):「技術」のなかの「はかる」
「『測る』道具と建築生産」
渡邉晶(財団法人竹中大工道具館学芸部長・主席研究員/神戸女子大学講師)
(発表要旨)
建築というのは、私たちの生活の場をつくっていくことである。18世紀の文献資料には、大工道具の主要なものには、「規」、「矩」、「準」、「縄」がある。墨壺という大工道具は「縄」と「垂準」の機能を合わせ持っているが、西洋の墨壺はこの機能が統合しない。
日本の手道具を使う匠たちは、材料の手触りや刃先の感触を常に感じながら、非常に精度の高いものをつくることに心がけていた。それが大工道具にも見られる。

まとめ:
「測る」ということは、いろいろな意味でのモノづくりのベースである。いろいろなものを比較し、その違いを認識するということである。異文化同士が付き合うと、新しいモノづくりが生まれるということになる。その意味で、今回は、多分野の専門家からいろいろ示唆に富む話をしていただき有意義であった。