第156回
(話題) 大江戸八百八町と日本橋界隈−『熈代勝覧(きだいしょうらん)』の世界−
(要旨)
江戸東京博物館で企画展「大江戸八百八町展」が開催された。開館10周年と江戸開府400年を記念してのものである。この企画展で注目された「熈代勝覧」(ベルリン東洋美術館所蔵)という題名の彩色絵巻である。拡大フォーラムはこの企画展の関連事業のひとつとして、江戸東京博物館と共催して実施した。
コーディネータから、「熈代勝覧」について次のような解説があった。
この絵巻は1800年ごろのもので、巻頭には書家、佐野東洲が「熈代勝覧」と書いている。絵師は不明であるが、筆致からその技量の高さが推察される。描かれているのは、今川橋ちかくの瀬戸物問屋をはじめ、十軒店の雛市、通りの西側には90余軒の問屋や店、魚河岸などの様子である。登場する人物、約1700人で、さまざまな職種や身分の人たちがいる。題簽(だいせん)に「熈代勝覧 天」とあることから、「地」、更に「人」の巻があったと推測される。
波多野コメンテータは「熈代勝覧」を見て2つの話題が提供された。1つ目は、江戸の都市設計は碁盤の目を地形に合わせて角度を44度ふって、両側町という計画がなされていたことである。だから、木戸が道の中途半端な位置に描かれている。2つ目は江戸時代後半のデザインについてである。日本橋の擬宝珠は葱坊主がピンと伸びているが、次第に肉饅頭を押さえつけたような形になっていく。また、土蔵に影盛鬼瓦が描かれているが、これは屋根の棟がデザイン過剰で大きくなりすぎて、鬼瓦で隠しきれなって影盛をつけたのである。このようにデザインはシンプルできれいなものから、豪華で基本線が崩れたものに変わっていったと話された。
森まゆみコメンテーターからは、「熈代勝覧」に登場する興味深いところと生業についてコメントあった。火の見櫓、町方の自身番、番太郎小屋、本屋、貸本屋、土産店があり、往来の真ん中でオープンエアカフェや研ぎ屋を営業したり、餅を突いて売っていたりする。煙草売り、飴売り、ぼてふり、行商人、按摩さんがいる。寿司、汁粉、雑煮、二八そば、お茶漬けなど庶民の食べ物も見られる。御高祖頭巾、高島田、櫛まきのファッションの女性たちもいる。車椅子の原型や独り者女性の引越が描かれている。ドイツの研究者にはわからなかった立ち小便禁止マーク、普請中の店、車を引いている牛、猫はいないが犬はいる。さまざまな生活が描かれ、最後は日本橋川の向こうに見える富士山で終わっている。
市川コメンテータからは、「熈代勝覧」に描かれている魚河岸の信憑性について話があった。広重の「東都名所日本橋全景並びに魚市全図」、「大江戸年中行事之内正月二日日本橋初売」、企画展「大江戸八百八町展」の準備中で発見された原画、この原画は明治29年の日本橋の魚市が克明に描かれているものであるが、これらによって、「熈代勝覧」は史料性が高いことが裏付けられ、魚河岸の実態が克明にわかってきた。まさに史料が史料を呼んだ結果であるとされた。
竹内コメンテータからは、江戸の中心街は情報センターで、海外とつながっていたことが話された。「熈代勝覧」には3軒の出版社が描かれているが、須原屋は海外情報を出版する本屋さんで、52年間に200点にのぼる本を出版した。長崎屋は十軒店の斜め前にあって「熈代勝覧」には描かれていないが、長崎商館長は毎年将軍に挨拶するために江戸にやってきたときにこの長崎屋に泊まった。ここで近くに住む玄白や源内はよく勉強をしていた。だから、長崎にいかなくても日本橋で外国が勉強できたのである。
江戸の町はこのように活気あふれた夢の多い町であった。その江戸に思いをはせて東京を元気にしたいと、コメンテータは江戸東京博物館館長の立場で話を締めくくった。