第141回
(話題) 大久保にみる都市の国際化
(要旨)
フォーラムに先立ち、新宿区大久保地域(大久保1・2丁目および百人町1・2丁目)を見学した。
この地域は1980年代後半、サービス業で働く外国人や就学生・留学生を中心に、急速に外国籍住民の数が増えていった。その主な要因として、新宿・歌舞伎町の隣接地であること、また数多くの日本語学校・専門学校が立地していたことが考えられる。その後、日本経済が衰退したにもかかわらず、この地域の外国籍住民はその国籍や属性・職業を変化させながらも増加の一途を辿った。外国人登録者数によると、大久保1丁目では住民の4人に1人が外国人という段階まで達した。また保育園・幼稚園・小学校でも外国系の子どもたちの割合が4〜5割を占めている。
住民属性の変化は、当然のことながら街の環境にも変化を及ぼしている。約10年前から地域に点在し始めたエスニック系の食材店やレストランは、5年後には4倍に増え、エスニックタウンと呼ばれるほどのゾーンを形成するに至っている。同時にエスニック系店舗の国籍はめまぐるしく入れ替わりながら、その業種・業態は専門・分化しはじめた。
一般には住宅地と近隣商店街からなる地域として認識されている大久保だが、外国人の描く地図の中では「ソウル―オオクボ」「上海―オオクボ」「ヤンゴン―オオクボ」として描かれていることが調査結果から判明した。日本人にとっての「大久保」と外国人にとっての「オオクボ」が、異なる意味をもちながら同時に存在するという重層的な地域構造が指摘された。