第136回
(話題)  都市と農村の蜜月時代−近郊農業の展開と流通の変化−
(要旨)
明治・大正期に、首都東京への人口集中が進んだ。それら都市人口を対象に、野菜をはじめとする商品生産が“副業的”に展開していった。
生産物が市内の特定の市場に生産者自らの手によって持ちこまれ、市場業者との相対取引で換金されていた。そして生産者は出荷時とほぼ同じ行程で、出荷の帰路あるいはそれだけの目的で、当時最も主要な有機質肥料、すなわち下肥を買付け、郊外生産地へ移送していた。市街地東京と近郊農村一帯との、こうした“くさい仲”こそ、都市と農村のいわば蜜月時代を象徴していたものといえよう。
域内生産・域内消費は理想的な共存的地域経済体系、ひいては文化の創造につながっている。しかし、大震災そして大東京の形成とともに、都市=資本側からの一方的な勝負に追いこまれていくことになる。農村側も輸送手段の整備、肥料を含む生産手段の近代化を進めてはいくが、宅地化を指向する耕地整理の進展とともに生産基盤は失われ、集散市場化する中央卸売市場の登場とともに、域内消費の原則はもろくも崩壊していった。
第2次世界大戦後、とくに高度成長下の国際都市東京は、ここで顕在化した都市対農村の拮抗をいっそう上ぬりしていった。
「都市と農村の新しい形」での蜜月時代の再来を、ヨーロッパの先例にも学び、構築する必要があるのではないか。