第129回
(話題) 横浜市の市営住宅事業について
(要旨)
戦前の日本における公的な住宅事業の実態については、同潤会など一部を除いて明かでない点が多い。
横浜市は大正8年(1933)から市営住宅事業を開始する。関東大震災前に4棟の共同住宅と5カ所の「普通住宅」と呼ばれる市営住宅を建設した。共同住宅のうち1棟は鉄筋ブロック造であり、不燃の公的共同住宅のごく初期の例である。
震災後は、同潤会によって横浜にもアパートメント・ハウスなどが建設されるが、横浜市も市営住宅事業を継続して行い、共同住宅、普通住宅などの建設を行っている。震災後の横浜市の市営住宅事業として特筆すべきものに、外国人向け市営住宅の建設が挙げられる。震災によって他都市に移住した外国人を呼び戻すため、山手を中心に外国人向け市営住宅の建設を行っている。
戦前における横浜市の市営住宅事業の変遷をみると、震災前と震災直後には普通住宅が多く建設される。昭和に入ると普通住宅はほとんど建設されなくなり、分譲形式の市営住宅の供給が中心となる。
供給した住宅数は決して多くはないが、震災前における共同住宅の建設や、震災後の外国人向け住宅の建設など独自の住宅事業を行った点は評価される。
戦前における横浜市の市営住宅事業の変遷とその実態を通して、公的な住宅事業の意義が問われた。