第124回
(話題) 寛永13年江戸城外堀普請と周辺地域の変化
(要旨)
平成元年〜9年(1989〜1997)まで地下鉄南北線建設に伴い千代田・港・新宿・文京区の13地点で発掘調査が実施された。このうち飯田橋から溜池間の8地点は史跡江戸城外堀跡の範囲にあたり、桝形、石垣、上・下水、土手などの遺構が確認された。飯田橋〜溜池間の外堀は、寛永13年に堀方7組152家の大名によって構築された全長3.5km、幅100〜120mの巨大な溝である。その骨格は自然地形を巧みに利用しているものの、相当量の掘削と盛り土を必要とする大土木工事が行われたことは間違いない。
発掘結果を踏まえ、そして寛永13年江戸城外堀普請に関わる『御府内備考』『御府内寺社備考』の記述から町地・寺院の起立・移転状況を整理してみると、同年の普請に際して確保された「外堀普請エリア」が設定できる。さらに、普請後に成立する町地・寺院の移転先の分布は、普請と前後して外堀西側の外縁地域で街区の再編がなされたものと評価できる。こうして設けられた街区の多くは組屋敷となっており、江戸幕府は外堀普請と同時に御家人屋敷の再配置を企図したものと考えられる。
江戸遺跡の発掘は近年盛んに行われているが、面的に広がる都市江戸の全てを調査することは到底不可能である。一方、『御府内備考』『御府内寺社備考』といった史料は、外堀普請から約200年後に編纂されており、それのみを単独で検討することは危うい。しかし両者は、360年前の大土木工事を表すデータであり、史料と遺跡を照合し、点的に得られた発掘結果を面的に押し広げることが可能となった。