第123回
(話題) 参勤交代−巨大都市江戸のなりたち−
(要旨)
参勤交代制度は、将軍が大名に対して、原則として国許と江戸との隔年居住と、大名の妻子を江戸に居住させることを強制するものであった。将軍への拝謁と任務遂行を果たすために、禄高に応じた人数で国許と江戸とを往復する臨戦体制の行軍を大名行列という。参勤交代といえば、一般的にはこの大名行列のみが想起されるが、本来的には将軍に対する忠誠心を示すために行う行為全般のことを指し、行列はあくまでもその過程にすぎない。
参勤交代的な行為は江戸幕府特有のものではない。規模は違うが、鎌倉以来の武家社会全般で行われていた。江戸幕府のものは、それを全国の大名統制策として強化し制度化したところに特色がある。享保年間の上米制度の実施で、一時在府期間の短縮が行われたが、それ以外は幕末の文久2年(1862)の緩和令まで法令上での変化はなく存続した。
江戸が他に例をみない巨大都市に発展した背景には、この参勤交代制度が大きな役割を果たしている。この制度は、全国から人を集中させることで、それを支える居住空間と財政的基盤を江戸に要求した。そのため江戸は拡大し、結果として全国の富の半分以上が江戸に集中する構造が整備されていったのである。東京遷都が断行された背景には、この集中構造によってもたらされた社会資本の蓄積が大きな要因としてあり、その後も形を変えながら集中構造そのものは現在に継受されている。