第110回
(話題) 戦災復興計画の理念とその遺産−東京、仙台、名古屋、神戸、広島等をめぐって−
(要旨)
戦災によって日本の多くの都市は破壊された。敗戦直後より内務省は戦災復興都市計画の取組みを開始し、全国110余の都市で一斉に復興事業が着手された。
昭和24年(1949)、ドッジラインの緊縮財政により戦災復興都市計画は縮小されたが、この都市計画事業によって日本の多くの都市は近世以来の城下町・宿場町の都市形態が改造され、今日の中心市街地をつくりあげられた。
戦災復興都市計画の理念は関東大震災、函館大火、東京緑地計画、戦時下の防空都市計画を通じて醸成されてきた日本の都市計画の思想、経験を集大成したものであった。土地利用計画、街路・公園等の標準などその計画思想はきわめて水準の高いものであった。
東京の戦災復興事業はその実施にあたり、大幅に縮小した。そのため、現在、街路・公園等のインフラの水準には問題がある。また、区画整理の未施行地区は防災上、危険な木造密集市街地という「負の遺産」となっている。一方、仙台、名古屋、広島等はほぼ被災地の全域の区画整理をやりとげ、広幅員街路、河川沿いの帯状緑地、都心の公園、等をつくりあげた。
戦災復興事業の実施は戦後の区画整理、再開発の前身である市街地改造・防火建築帯の制度を生み出した。一方、戦災復興事業の見直しは都市計画の技術思想の後退をもたらした。