第109回
(話題)  明治初年の大火と貧富分離論
(要旨)
明治初年の東京では、毎年のように大火があった。特に明治13年(1880)11月〜翌年11月までの間に、1000戸以上が焼失する火災が4回もあった。それだけに、日除地、防火路線、不燃化構造、水道事業、火災保険などの火災予防論議が盛んであった。
なかでも注目しなければならないのが、「貧富分離論」である。すなわち東京の中心部から裏長屋とその住人を一掃するのが火災予防策であり、公衆衛生の課題だという考え方である。その実施例とも言えるのが、明治14年(1881)の江戸4大スラムの1つである神田橋本町改造事業である。裏長屋やその住人たちが大火の原因であるという見方と、裏長屋の存在が伝染病流行の原因であるとする見方と結びついたものである。この「貧富分離論」に対して、森鴎外は激しく批判をしている。
もう1つが、防火政策として画期的だったのが、「東京防火令」である。防火路線上の建築物は不燃構造にする。既存の不適格建造物には遡及措置をとる等の制度であった。この制度と消防水利の普及によって、大火が少なくなっただけではなく、火事も少なくなった。