第108回
(話題) 震災復興<大銀座>の街並みから
(要旨)
近代以降、銀座の街並み・景観を大きく変えたのは、明治5年(1872)の銀座大火、大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の戦災、それと昭和39年(1964)の東京オリンピックを契機にした経済高度成長期のビルブームであると言われている。
そのうち、このフォーラムでは関東大震災による銀座の変貌をみる。
震災5年前の銀座が煉瓦街であったことは、「建築雑誌」(大正7(1918)年8月)からわかる。清水建設が所蔵している写真を用いて、震災以前と以後の新旧建物を対比してみる。主な建物は、サヱグサ、教文館、伊東巳代治貸店舗、鳩居堂、日本貿易協会、十字屋楽器店、伊東屋、米井商店、資生堂、銀座ビルヂング、服部時計である。
銀座商店街は大正時代に京新聯合會(銀座通り連合会の前身)をつくり、結束が固く、意気に燃えている。店舗をつくるにも、建築家に任せではなく、店舗そのものを自ら工夫する。商品も時代にあった商品に切り替えていったり、全然違うものを商ってしまう。自分が扱う商品だけではこれからはやっていけないだろうして貸しフロアーをつったりもする。
この当時の人たちのセンス、心意気、先見性が震災の打撃から立ち上がり、現在の銀座の繁栄の基礎をつくていると言える。