第107回
(話題) 日本パノラマ館と凌雲閣−浅草の2つの巨大建築は、当時の人々にどのような印象を残したか−
(要旨)
日本パノラマ館と凌雲閣は、同じ明治23年(1890)に浅草に建った。
日本パノラマ館は工部大学校造家学科を卒業した新家孝正(にいのみたかまさ)が設計をしている。大仏殿ほどの大きさで、ずんぐりとした十六角形の木造建造物であった。360度の巨大な内部空間(高さ約15m・直径20m)に、絵を掲げるという人工景観をもっていた。内部に入るには、薄暗いトンネルのような通路を通って階段を上がる。そこで一変、明るく視界が開けるという演出があった。
パノラマ館は、1787年にスコットランドのロバート・パーカーが始めたという。パリ、ロンドン、フランクフルト、サンフランシスコにあった。それから100年後に、日本各地にパノラマ館ができた。サンフランシスコで御用済みになった絵を輸入したりしている。
凌雲閣は「十二階」とも呼ばれていた。江戸東京博物館にその模型があるが、興福寺の五重塔(約60m)ほどの高さがあり、1階の平面は一辺が5〜6mの八角形、外観は赤煉瓦であった。10階上に回縁があって、そこから現実の都市が360度見えた。エレベータはあったが開業まもなく欠陥が生じて使用ができなくなった。設計は写真に精通した土木屋さんのバルトンである。
凌雲閣は、実際に見なかった人も絵によって、あるいは聞き伝えてよってその外観は記憶に残るのであるが、展望台からの印象の記録は以外に少ない。一方、パノラマ館は、見た人にとっては印象が非常に強く残っている。しかし、見ていない人には全く分からない。それゆえ、凌雲閣の外観の絵は無数にあるが、日本パノラマ館はほとんど手に入らないのであろうか。今はないこの2つの建築は、当時の人々の心に何を残したであろうか。