第101回
(話題) 都市の民俗学−色・音・匂の変化−
(要旨)
従来の民俗学が“村社会”に残る伝統的な生活風俗・伝承文化を有力な手掛かりとするのに対し、都市民俗学は“都市・町社会”をも含め民俗学的にとらえようとする新しい分野である。1971年、長野市みすず台に住んでいた倉石忠彦が“団地の民俗”を提唱したのがきっかけとなり、宮田登が支援して民俗学の逼塞(ひっそく)化と重ね問題提起したもので、1.村とは異質の都市独自の民俗の生成、2.これまであった村の生活慣習が、都市化するにつれてどう変化した民俗になっていったかを問題とする。
都市民俗では五感とくに視覚・聴覚・嗅覚が都市性を現すものとして重視される。色の場合は日本人の色彩感覚の史的研究など象徴論で展開されてきたが、それだけでは限界があり、文化論の上では社会構造・記号論の方向に進まざるを得ないであろう。音は日本人にとってみだりに発してはならぬタブー視されてきたもので恐怖感覚がどこかに潜んでいるように思われるし、匂いは日本文化の上では社会階層性に近いもの、または関係してきたものと考えられている。
都市独自の民俗を蓄積・分析して何が見えてくるかという視点から、農村と都市との接点での時間的・空間的変化を調査・観察するのに格好の地として板橋を調査対象とした。板橋は、古くから宿場町で周辺は農村であったが、1.明治18(1885)年の鉄道開通により急激な変化がもたらされ、2.東京の都市化の影響から昭和5(1930)年前後を境に感覚の変化がみられるようになり、3.昭和期の工場進出、人口・住宅地の拡大でマチ化の様相を示しだし、民俗社会の体質が変化していった。当地はもともと農村民俗が支配的で、色彩感覚は植物の季節変化にともなう認識を基盤としており、“赤塚”など赤の付く地名が多いのは関東ロームの土壌色が地元の人々の印象の根底にあったからと思われる。また、農民の服装では紺や茶色を基軸に女性の物は赤系統の色を付随させ印としており、お色直は江戸褄から黒をしきたりとしていた。
色彩感覚、匂いの感覚、音の感覚等につき多くの個別資料を得たが、ここでは1930年前後の色彩環境を下敷きに、都市における色彩感覚の変容について話題を提供する。
都市における色彩感覚は農村の基層感覚とは異質の感覚で展開し、赤は江戸女性の媚態を表現する色であり、呪力(じゅりょく)・情熱の備わった病避け・厄よけの色であり、また、芝居・遊郭などの遊興空間の色、風呂屋の行灯や食堂、居酒屋の赤暖簾の色であった。この赤に対する感覚は近代になり変容し、ファッション感覚で使われるようになり、さらに社会標識として危険・警告を現す赤色として使われるようになっていく。そこにはファッションの造形・色彩感覚の変化、社会的標識機能の拡大による意味の変化、外国からの赤色のもつ情報の移入があった。
青色も、基層感覚として、遊郭・商家の暖簾は防虫効果もあった紺(藍)を使い、内と外を区別し菌を払うものであり、九州地方の赤い面・青い面の伝承のように青も赤と同じような呪力を持っていた。しかし、近代になると青は欧米からもたらされた光りの感覚、空・水の色のライト感覚で捕らえられて行く。青テーブルは大手会社の上役の代名詞であり、青い靴下は女流作家・女性解放運動家、水色のファッションはモガの服装を象徴するものであった。
白色といえば禁色(忌々しい色)であり、昭和10(1935)年代までの女性の喪服は白づくめであった。それが近代に入り、キリスト教系の病院やシスターの服装などの西洋の衛生思想の清浄感から、浄化の意味の白色(白いワイシャツ、エプロン、ハンケチ)のイメージに変わって行く。また、黒色は江戸では粋な色(武士の服装、黒羽織、黒八丈の半襟、黒繻子の帯、黒塀など)とされる一方、歌舞伎の黒は色悪の、黒衣(くろこ)・黒幕は無の象徴であったが、近代感覚としての黒は、鉄の塊や機械製品をイメージする一方、輸入もの(黒のコート、マント、帽子、ピアノ、万年筆など)の黒でもあった。さらに言語には暗いイメージを興すものが並ぶ。
紫色の基層感覚は天皇の儀礼服・高僧の袈裟であり、大正時代まで結婚式に紫の花はタブーであった。それが紺紫色の外来もあって近代に入り解放され、大正昭和初期の女学生の袴の色や料理屋の仲居の前垂れに使用されるようになる。言語でも浅草紅団、曙組など不良グループの感覚で用いられていく。ちなみに平安時代の“紫”は絵巻の使用材料の分析から“赤”であるとの説があり、日本人にとり紫は問題をはらむ色といえよう。
中世と近世における都市化の意味と住民(農民と武士団)、文化移入の窓口としての板橋の位置(江戸の近傍・加賀屋敷)、音を出さぬことの価値、江戸弁の発音の変化と声質の変化、茶室の色・武家屋敷の豊かな色の変遷の背景、平安朝と奈良の色の違い、平安期の紫はベンガラの酸化した色か、色の科学的記録(マンセル表)について、日本文化論の中の匂史と階層性と職業、存在感がないのに聞こえる音・神の具現化する音と周囲の明暗による恐怖感の違い、色・音・匂いの相互関係と感覚、お化けの音・匂いの時代的変遷について、香道(日本固有文化)と民俗、など。