蔵書探訪・蔵書自慢 4
工学院大学図書館所蔵 今和次郎コレクションの豊かな出会い

10年
私が初めて工学院大学の今和次郎の資料に触れたのは1994年の秋でした。当時は米国の大学の博士論文提出資格試験の準備を日本と米国を往復しながら行っていました。論考の対象として吉阪隆正の自宅に残された資料をそれまで1年ほど調査しており、吉阪の師として今和次郎を調べようと工学院を訪れたのでした。今和次郎の資料は、荻原先生の保護の元で、資生堂やいくつかの美術館の学芸員の方たちにより、展覧会のために考現学資料を中心とした代表的なものは整理されていました。しかし工学院の八王子の校舎には新宿にある資料の倍以上の未開封の資料があり、新宿にある資料もほとんどが未整理の状態でした。しかし、その研究ノートやばらばらになった資料を少しずつ見ているうちに、今和次郎が非常に多様な業績を残しながら、生涯にわたって何かを追い求め続けたように見える姿勢、その視野の広さそのものに、深く共鳴するようになったのです。そこで未整理の資料をできるだけ読み解くことで、その共鳴を感じたものがなんだったのかを明らかにし、それを核にして論文を書こうと決心したのです。
1998年に論文を完成して帰国後、いわば見散らしていった資料たちを整理するお手伝いをしてご恩返しをしたいと思いました。まだまだ見切れていない資料や解けない謎もたくさんありました。今和次郎の右腕だった竹内芳太郎の資料も全く未整理でしたが、今和次郎の実際の業績を理解するためには不可欠のものでした。そこで、荻原先生を代表として、林知子先生や長山洋子先生、前島諒子さんに加わっていただいて今和次郎コレクション委員会を1999年に結成し、基本的にボランティアで資料整理を始めたのでした。あわせて今和次郎コレクションニュースレターの発行も始めました。「今和次郎の保存資料」から「今和次郎コレクション」という名前と体系を備えた組織への脱皮の時だったといえるのではないでしょうか。

コレクションが形作られてきた軌跡
その頃、建築家の資料を収蔵しコレクションとして整理運営しているところは非常に稀でしたので、資料の体系化の方法そのものを西山卯三コレクションを訪問して調査したり、著名な文学者のコレクションの例を調査したりして皆で検討しました。今和次郎の資料は考現学の生き生きとしたスケッチが著名ですが、そのほとんどが文字資料と混ざったものです。したがって一つ一つを丁寧に読み解いていかなければならないわけです。また、彼は生前中その資料を保存することをあまり意識していなかったので、一冊のノートにいくつもの研究領域にわたる事柄が書き込まれ、年代も不明瞭なものが多く、資料の区分そのものが大変困難でした。例えば日本や朝鮮・満州の調査における写真資料が、サムネイルの大きさで大量に残っていましたが、そこには年代も場所も全く記入されていないのです。
また、私たちがコレクションとして整理するときにもっとも大切だと考えたのは、興味深く美しい人の目を引くような資料や、特に研究上重要だと思われるような資料だけでなく、とにかくすべての資料を同じ重要度で扱い、しかもその多様性を損なわないために全体を見えるようにしなくてはいけないということでした。つまり、現在の私たちが興味を感じないような事柄にも将来誰かが大きな価値を見つけることが可能になるように、既存のテーマ分けや個人的な価値判断に縛られずに、なるべく客観的、総合的に整理しようとしました。そしてインデックスの作り方を何通りも試しながら、テーマや年代で分類することの限界や問題を議論し、整理の途中ですこしずつ修正して行ったのです。
しかし最初に私たちが取り組んだのは、資料の清掃と保護でした。未開封の箱をすべて開け、積まれたままになっていた袋を開けて、ほこりを払い、破れを繕い、離散している断片を探し、組み合わせて一つの袋に入れる。年代が近いものやテーマが近いものをまとめてボックスに入れる。ノートやスケッチブックに書かれている様々な研究テーマを、一枚の紙に書き出して目次を作ることを行いました。作業を終えると手も真っ黒でうがいをしないといけませんでした。資料の種類も多様です。手紙や葉書、本当にわずかしかありませんでしたが旅行日記などの個人的な資料や、公的な会議の資料、教材や研究ノート、雑誌や本からの模写、旅行スケッチ、講演会の展示資料など、まだまだ紙がぼろぼろになるほど劣化はしていませんでしたが、早晩適切な保護が必要と思われる資料を、とにかく基礎的な保護と分類だけでもと願って手探りで整理し続けました。
そのうち、青森県の県史編纂事業への協力依頼や一般財団法人住総研の研究助成をいただいたことをきっかけに、インデックスの作成方法や資料の分類方法についての理解も進みました。現在、資料の分類は民家調査、民家採集、考現学、住居論、生活学、家政学、服飾、造形論、その他の9分類です。そして、資料のそれぞれにIDカードをつける作業を行っています。それは資料の年代と、資料の種類(野帳、スケッチブック、研究ノート、報告書など)に基づきます。そして資料を収めたファイルにもラベルをつけています。また、工学院図書館の協力もいただいて、資料の記録方法や手段も格段に向上しました。スキャナーを用いて資料の形態や、視覚的資料の記録も取り入れています。これからは、紙資料本体の保存や閲覧のための整理が必要になるので、コンピューターにベースファイルを蓄積する作業を進めています。

印象的だった出来事
コレクションの整理は上記のように、荻原先生を中心として今先生とはあまり深いつながりのない、あるいはお会いしたこともない人びとによって進められてきました。それはとりもなおさず、皆が今和次郎の作品と人柄に資料を通して出会う喜びを感じてきたからこそ可能だったのです。また作業の中で様々な出会いがありました。まず、今和次郎の三女の今容子さんです。容子さんは何日も整理の応援に来てくださり、写真や手紙をご覧になってはその由来や年代を明らかにし、その資料にまつわる様々な事柄を教えてくださいました。そしてご自分が、資料を見ることで父をより深く知ることが出来たとおっしゃっていたのがとても印象的でした。また、今和次郎と晩年に日本各地を調査して回ったお弟子さんたちも訪ねておいでになりました。あまり公にされていないけれど深く今和次郎と結びついていた方々が、その思い出を語られコレクションの整理を励まして下さったことは、私たちの大きな力になりました。今和次郎の業績の全体像を示すには、まだまだ集めなくてはならない資料がありますが、今後も資料とともに様々な方々にお会いするのが楽しみです。

+建築家アーカイブ、コレクションの意味
前述したように、日本では建築家資料の収集・整理・公開を目的としたアーカイブやコレクションは、最近ようやく少しずつできてきた状態です。それは、過去の建築家の個人的な業績の細かい資料が、現代の急速に変貌する建築創造にあまり直接的な利益がないように思われているからでしょう。米国のペンシルバニア大学で運営されているカーン・アーカイブは、アーカイブやコレクションが現代においてどのような意味を持ちうるかという点で大きな示唆を与えてくれると思います。それは、私たちが資料を整理していた時に感じたような、小さな作品や個人的なメモの断片から直接感じ取れる建築家の人柄の魅力との出会いや、それに触発される喜びが、建築家の精神の教育として重要だと考えているということです。もちろんその大学の出身者である有名建築家の重要な資料や作品を保有していることは、学校の誇りでありネームバリューでもあります。しかし、それだけではない、歴史の持つ創造性のもっとも直接的な表現媒体として、アーカイブやコレクションの価値は、今後さらに見直されなければならないと思います。今和次郎コレクションには、建築の領域以外の方たちが時々調査にいらっしゃいますが、建築を学ぶ若い方たちにももっと気軽に触れていただいて、その他領域に広がる視点が建築にもたらす豊かさや楽しさを知っていただきたいと思います。

黒石 いずみ(くろいし・いずみ)
(「すまいろん」05年冬号転載)