蔵書探訪・蔵書自慢 20
東京文化財研究所 文化遺産国際協力センター 関野克資料
東京文化財研究所・文化遺産国際協力センターは、世界各国の文化財の保存・修復に関する国際協力について、日本における中心的な存在として活動しています。中国、タイ、カンボジアなどの遺跡の保護に関する長期的な技術協力、アフガニスタンやイラクといった戦争で被害を受けた文化遺産の復興や技術者の養成、諸外国の文化遺産保護制度の情報収集と発信など、その活動を新聞やニュースで見かけることも多いと思います。日本の文化財保護分野での国際協力はますます重要なものになっているのです。
今から50年以上前に国際社会に参加し、日本の文化財保護についても積極的に発言した専門家がいます。関野克博士(1909〜2001)です。
文化財保護での国際協力の草分け関野克博士
関野博士は東京大学教授として建築史の教育と研究に携わるかたわら、1950年の文化財保護法制定にともない設置された文化財保護委員会(現在の文化庁)の初代建造物課長に任命されました。法隆寺、姫路城をはじめとした国宝・重要文化財建造物の修理のほか、登呂遺跡の復原、高松塚古墳の壁画保存などに尽力し、建築史学と文化財保護行政の両分野で指導的、中心的な役割を果たしました。その後、東京国立文化財研究所(当時)所長、博物館明治村館長を務めています。関野博士は国内の文化財保護事業のみならず、ユネスコやイコモスの多くの会議に委員として出席し、条約や勧告の作成にも関与し、日本イコモス国内委員会の委員長を務め、ボロブドゥール修復事業などの国際的調査にも携わりました。また、関野博士は、1897年の古社寺保存法制定に始まる日本の文化財保護の最初期に活躍した関野貞博士の子息であり、親子二代にわたり文化財保護事業の中心として活躍したことも注目されています。
「関野克資料」の概要
関野博士が遺された多くの資料のうち、国際関係資料が東京文化財研究所に寄贈され、文化遺産国際協力センターにおいて保管、整理、分析が行なわれました。
内容は、ユネスコ、イコモスなどの国際機関に関する資料、諸外国の文化財保護制度を調査した資料、ボロブドゥール、韓国などの文化財修復に関する資料のほか、日本国内の文化財行政や登呂遺跡などの文化財修復・復原に関する資料も含まれており、関野博士自身によってまとめられたファイル1冊を1点と数え、1461点におよびます。さらに、2007年度に博物館明治村から関連する追加資料362点の寄贈を受け、合計2冊の目録にまとめられています。筆者は、研究補佐員として整理・分析に携わりましたが、資料には多くの写真、大量の手書きのメモ、参加した国際会議で泊まったホテルの案内なども含まれ、関野博士のまじめな人柄や当時の様子を生き生きと感じることができ、その整理、分析は楽しいものでした。
「武力紛争の際の文化財保護のための条約」への取り組み
日本の国際連合加盟は1956年ですが、ユネスコへの加盟はそれに先駆けて1951年に行なわれました。日本の国際社会への本格的な復帰はユネスコにおいて果たされたのです。
関野博士は、その翌年の1952年、「武力紛争の際の文化財の保護のための条約」(通称・ハーグ条約)の条文作成のためのユネスコ政府専門家委員会に委員として招かれています。ハーグ条約は、ユネスコの文化財に関する初めての条約です。文化財の戦闘による破壊や略奪の防止といった戦時の保護と、平時にとるべき方策を規定した国際条約で、保護すべき文化財の定義や保護内容、識別標識や保護のための人員の確保などが定められています。
関野博士は初めて参加したユネスコの国際会議で、各国の代表が戦火による文化財の被害を乗り越え、その修復について話し合うだけではなく、戦争による文化財の被害を最小限にするための国際規則の制定を話し合っていること、イタリアの無防備都市宣言のような取り組みが戦争中にすでに行われていたことを知り、戦時中に軍部が「国破れて何の国宝ぞ」と発言したという日本の状況との違いに衝撃を受けました。
関野博士は、第二次世界大戦の戦禍を免れた京都と奈良をこれからは条約によって守ることが重要と考え、都市全体として守ることを強く主張しました。その取り組みは新聞などでも紹介され、奈良ユネスコ協会を中心とした「非武装都市運動」という市民運動にもつながりました。
関野克資料には、条約を批准するために必要とされた国内法の草案や、条約により国際的に守られる「特別保護」文化財の候補地リストなどがあり、関野博士がこの条約を日本が批准するために尽力したことがわかります。
国内法の草案では、戦時中の文化財の被害状況や軍事技術を研究した結果、日本の文化財が最も被害を受けるのは焼夷弾による類焼であることを指摘し、国内法では大規模な軍事目標の排除よりも、家屋の密集を防ぐため、建築基準法、都市計画法との連携をもとにした日本独自の方法を主張しました。また、法隆寺が特別保護の条件にあてはまることを自らさまざまな条件を考慮して証明し、パリで条約の作成に尽力した専門家を訪れ、意見を求めていたこともわかりました。
そのような努力にもかかわらず批准は遅れていましたが、条約採択から53年を経て、昨年ようやく日本の批准が実現しました。関野博士の思いに応えるべく、これからも議論をすすめていかなければなりません。
「歴史的環境」の保護
関野克資料には、諸外国の文化財保護の制度や事例を調査した資料が多くあります。関野博士は国際会議への参加で知った先進的な事例を、新聞や雑誌を通じて広く紹介することにも取り組みました。その取り組みは日本の文化財保護制度の発展にも役立っていきました。
パリで最も有名な歴史的街区の保存地区であるマレ地区を日本に最初に紹介したのは関野博士だったといわれています。日本では単体の文化財保存が中心だった時代に、記念物の周囲500メートルの景観規制やファサード保存という手法に加え、芸術上、歴史上優れた文化遺産とその好ましい環境を残し、かつ機能的で住み心地にも配慮したまちづくりをするという「歴史的環境」の保護を紹介したのです。
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今回は、関野資料の中でも国際協力の最初期といえる資料をご紹介しました。どの資料を見ても関野博士の文化財保護にかける情熱に触れることができ、さまざまな視点からの研究がまだまだ可能です。
東京文化財研究所 文化遺産国際協力センター
〒110-8713 東京都台東区上野公園13-43
Tel 03-3823-4898 Fax 03-3828-4867
http://www.tobunken.go.jp/~kokusen/
関野克資料が保管されている国際資料室は、文化財の保存修復や国際協力に携わる専門家や関連の分野を学ぶ学生を対象に、毎週水曜日の10時から17時、金曜日の11時から17時に公開されています(事前の電話申し込みが必要です)。
平賀 あまな (ひらが・あまな)
(「すまいろん」09年冬号転載)